三國志Vの部屋 その弐 〜地歴資料編〜
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1.戦場マップ解説
ちくま文庫の『正史 三国志』や古地図と睨めっこをしながら推測してみました。厨房時代の地図帳があったら完璧だったんでしょうが。
実は三國志Vの戦場マップが、歴代シリーズの中で最も地理的に正確なのですよ。
実際のマップを添付して解説するのがベストなのでしょうが、そんな容量がないので平にご容赦。
間違いがあったら指摘よろ。

01.襄平 遼東半島。マップ上にある2つの河口は右が大遼水で、渤海に注ぐ。大遼水の南岸(東岸?)にある城が遼郡。
半島の先端付近にある城は玄菟郡かと思われる。
02.北平 正しくは右北平郡。なぜなら北平は薊の南方[シ豕]県の更に南西にあるからである。
城は左から順に右北平郡(、土[土艮]県)、廬龍城。右北平の南を横切る河は新河(運河)、廬龍城の東を流れる河は濡水。ともに渤海へ注ぐ。
尤も、右北平を薊郡と見ると廬龍城は漁陽郡となり、これを挟む河は東から鮑丘水、沽河となる。だがそれでは内陸に入り過ぎていて微妙。
03.代県 中央の水濠に囲まれた一帯は[シ豕]郡の南、易京であろう。IVのマップでそうなっているのでそういうことにしておく。
易京の西にあるのが北平県、同じく北にあるのが[シ豕]県(范陽郡治所)。
04.晋陽 太原郡晋陽県。并州の州都。マップの南側の城がそれ。そのすぐ西を流れるのが汾水。北側の城は新興県(九原郡治所)。
05.南皮 渤海郡南皮県。マップ下を河水(黄河)が渤海に向けて注いでいるので、いちばん下の城は楽陵県であろう。またマップ左端の城は河を隔てていないのでおそらくは新楽県。
問題は渤海の城規模だが、中央の3つの城のうち、恐らく上2つが治所南皮県、右下の城が高城県ではないかと思われる。
06.平原 マップを三分する河について、左右に横切るのは河水だが、上下に分断する河はわからない。
城は北から順に安徳県、平原郡、清河郡。或いは北から順に平原郡、清河郡、館陶県(陽平郡治所)。
07.業β マップ中央に南十字星の如く配置された4つの城が魏都業β県を表している。魏の五都選定に際してその1つに選ばれる。
マップを三分する河のうち、左右を横切るのが河水。その黄河にかかる橋が延津で、その北岸が朝歌県…かな?見たかんじ白馬津と黎陽県にしか見えんけれども。朝歌県とすると南北に走る河は[シ其]水とも見えるけど、[シ其]水は業βより南で西に折れ、黒山へと至る(源流)。ちなみに黒山は業βの南西、だいたい洛陽から侵攻したときに攻撃軍が配置される付近。
[シ其]水でないなら、業βの北を流れる[シ章]水をくっつけてみたかんじだろう。いちばん北の城は曲梁県(広平郡治所)だろう。邯鄲ほど近くはないと思う。
このマップのいちばんの問題点は、濮陽からの攻撃部隊が河北に配置されること。
08.北海 山東半島。半島の北が渤海、南が黄海。マップ上半分は河水の河口である。
3つの城は左から順に平寿県(北海郡治所)、東武県(城陽郡治所)、観陽県だと思われる。
09.徐州 かつては瑯邪国と呼ばれていた。
マップ右端を流れる河が沂水で、その西岸にあるのが開陽県(瑯邪郡治所)。
4つの城は左から順に言えば陰平県または広戚県(左下)、昌慮県(左上)、蘭陵県(中央)、開陽県。
ちなみに諸葛氏の出身地である陽都県は沂水をもっと北に遡った西岸にある。
10.下[丕β] マップ右半分は黄海、マップ中央下を黄海に向かって注ぐのが淮水。
3つの城は上から順に即丘県、[炎β]県(東海国治所)、下[丕β]県(徐州州治)。或いは上から順に[炎β]県、下[丕β]県、広陵郡。
ただし広陵は地理的にもっと東なのでこれも微妙。
11.濮陽 3つの城は位置関係的には上から順に東阿県、廩丘郡(エン州州都)、済陰郡定陶県と考えるのが自然だが、マップを横切る2本の河のうち上側を河水、そこにかかる橋を白馬津とすれば、いちばん上の城は東郡濮陽県となる。どのみちいちばん下の城は定陶であろう。
定陶の南を流れる河の名前はまだ不明。定陶の東の鉅野沢を水源とし、複数の支流・運河と交わった後、河内のやや下流で河水に合流する。ちなみにこの「複数の支流・運河と交わった」あたりが官渡である。
12.陳留 方角には若干ズレがあるが、4つの城は左上が陳留国、左下が圉県または武平県、中央が雍丘県、右が襄邑県だと思われる。
陳留国のすぐ西には南北を貫く運河が流れており、「濮陽の項目で不明だった河」と[シ過]水とを繋ぐ(間接的に黄河と淮水とを繋ぐ)。開封県はこの運河を隔てて陳留国のほぼ西向かいである。
なお陳留国は「濮陽の項目で不明だった河」の合流点に臨んでおり、必然的に官渡も陳留国の目と鼻の先にあることになる。
13.許昌 元々は穎川郡許県という。曹操が漢都をここに移して許都と呼ばれ、漢魏禅譲の後、許昌県と改名された。魏の五都の1つ。
中央の6つの城が許昌を表し、許昌を守る2つの関は上が長社県、右が長平県ではないかと思われる。いずれも関ではないが、軍事上の要所である。
マップ右下に向かって「陳留の項目に書いてある運河」と[シ過]水とが合流していく。
14.言焦 沛国[言焦]県は曹操の一門や華佗の生国。魏の五都の1つ。
マップを横切る河は[シ過]水。許昌の下流にあたる。[シ過]水の流れが実際のマップと異なるがそれは措いておく。
[シ過]水の北岸にある2つの城は柘県、南岸にある2つの城は[言焦]郡(、城父県)と思われる。ちなみに垓下城は城父県の東方にある。
15.汝南 マップ右上方をかすめる河は穎水、その南岸にある城は豫州州都の安城(安成)郡。
マップ中央やや下の城が汝南郡、残る1つが宜春県ではないかと思われる。
汝南郡は淮水の北岸といってもいい地理にあり、マップ右下の水地形が淮水だと思われる。
マップ左上方をかすめる河は汝水ではないかと思われる。
16.寿春 揚州の州都。淮水の南岸にあることから淮南郡ともいう。マップでは河の南の2つの城がそれである。
淮水北岸にある城は下蔡県、マップ中央下にある沼沢は芍陂だと思われる。芍陂から[シ肥]水沿いに南下すると合肥。
17.洛陽 正確には河南郡洛陽県。後漢の帝都にして魏の五都の1つ。河水の南にあるので河南郡。
マップ的にはそれほど大きくなく、城3つで表されている。その右の城はケイ(榮の下が水)陽県。
洛陽とは本来、洛水の北岸にあることを意味するが(註:山陽は山の南側)、マップでは南に2つの関と高山を抱えている。
2つの関のうち左は虎牢関だが、右の方はど忘れ。ケイ陽関?
マップ中央を河水が横断し、その北岸にある2つの城は左から順に野王郡、懐県(河内郡治所)だと思われる。
18.弘農 2つの関に守られた鉄壁の地形。東は函谷関、西は臨潼関。
函谷関の内側にあるのが[シ黽]池県、臨潼関の内側にあるのが弘農郡である。
なお、2つの関の中間付近に守備側が部隊を配置できるスペースがあるが、あのあたりにあるのは陜県である。
19.長安 前漢の帝都にして魏の五都の1つ。マップでは2つある関に守られた4つの城で表されている。
2つある関のうち、漢中からの道を塞いでいるのは斜谷関、弘農から続く道を塞いでいるのは潼関。潼関の右の高山は華山山系。
マップ上方を横切るのは渭水。
マップ中央に秦嶺山脈が威容を誇り、部隊の侵入を受け付けない。この秦嶺山脈の東側が子午谷(魏延が奇襲を提案したルート)、西側が褒斜道(褒中と斜谷関とを繋ぐ道)である。そしてマップ左、褒斜道の西側にある低山が五丈原である。
五丈原と渭水を挟んで北岸にある城の候補は3つ、西から順に[眉β]塢([眉β]県)、扶風郡(槐里郡)、馮翊郡(臨晋郡)。斜谷関のすぐ外にある城が何かわからないが、いずれにせよマップ左上隅の高山は岐山であろう。
渭水に注ぐ支流はシ(さんずいに「經」の旁)水。シ水の流れをずっと遡ると安定に至る。
潼関付近で渭水が北から流れてくる河水に合流するはずなのだが、このマップではそうは見えない。
20.漢中 漢中のマップは長安からの侵攻ルートがおかしい。マップ中央を横切るのは漢水で、マップ左上に伸びていく漢水こそが褒斜道である(したがってこの両河の合流点にある城が褒中県)。そして褒斜道の東側にある高山が終南山、終南山の麓にあるのが漢中県(南鄭郡治所)である。
漢水の南の2城のうち、東側は定遠城だが西側は不明。地理的には定軍山があるあたりなのだが。まさか武侯祠のつもりじゃないよね…?
マップ左下にある関は陽平関(陽安関?)。ちなみに褒中の南を流れて漢水に合流するのはベン(さんずいに「眄」の旁)水。
21.安定 これまた長安からの侵攻ルートがおかしい。
3つある城のうち、マップ右上は臨シ[さんずいに「經」の旁]県(安定郡治所)、マップ下は隴郡だと思われる。左上のものは位置関係がズレるが略陽県ではないかと思われる。マップ上方を横断する河はシ水、同じく街道は鶏頭道だと思われる。
22.下弁 マップを大きく湾曲しながら流れる河は不明だが、2つある城のうち左は武都郡、右は下弁郡(旧武都郡)だと思われる。
漢中からの攻撃部隊の配置箇所は恐らく赤亭、マップ左上の高山は祁山であろう。
23.天水 マップ左下、下弁からの攻撃部隊の配置箇所は恐らく祁山。祁山から見下ろした位置にある城が冀県(天水郡治所)。
マップ中央を渭水が横断し、その北岸に2つの城がある。左から順に冀県(漢陽郡廃治)、臨渭県(広魏郡治所)。
マップ左上(西涼)へと伸びる街道は狄道県(隴西郡治所)へと続く。
24.西涼 マップ右下の沼沢がなにかは不明だが、2つの城は上から順に姑蔵県(武威郡治所)、西平郡。
25.宛 正確には南陽郡宛県。
マップを上から下へ流れる河はわからないが、新野の西を流れて襄陽の北で漢水と合流する。この河の北岸、4つある城のうち上から3つ目の城が宛県である。
博望県は実は宛県より北、同じくこの河の西岸にある。マップで言えば2つある橋のうち北側が博望坡であろう。ということでマップにある4つの城のうち、いちばん上は博望県かもしれない。或いは上から順に雉県(本当は湾曲部のさらに北岸だが)、博望県、宛県か。宛県の南対岸の城は不明。
マップ左上の低山は熊耳山。これを越えると武関がある。
26.新野 …なぜ城が3つもあるのかな?マップを斜めに流れる河は宛の説明で書いた河。張済が戦死した穣県は本来この河のはるか西にあるが、ゲーム的には新野のマップのいちばん左の城がそれかもしれない。新野県は残る2つの城のうちのどちらか。
演義準拠では、このマップの河の北側にある林道が博望坡のイメージである。
27.上庸 マップ中央を横断する河は漢水、その北岸の2つの城は上庸郡と房陵県(新城郡治所)…かと思いきや、そうではない。
まず、マップを横断する河は漢水の支流である。その北岸の城は左から武陵県、上庸郡。同じ地名はあちこちにあるので気にしないこと。
ちなみに新城は上庸のもっと東、筑水(漢水の支流)の更に支流の西岸にある。
マップ上の方にポツンと1つある城は洵郡。
28.襄陽 マップは3本の河で4つに区切られるが、それ自体はあまり意味がない。
マップ左上から右下へかけて流れるのが漢水、その北岸にある城が樊城。ここで問題なのは、襄陽城は漢水を挟んで樊城の南対岸にあるはずなのだが、このマップではそうなっていないということである。が、漢水の南の4つの城についてここでは仮に、上2つを襄陽郡、その下を宜城県、更にその左下を中廬県としておく。
29.江夏 2つの大河でほぼ三分されたマップ(右下隅に細い河川があるが何かは不明)。太い方が江水(長江;揚子江)で細い方が漢水。
合流点の北岸にあるのが、黄祖が拠った江夏郡(上昶城)。南岸にあるのが夏口県と劉備が逃れた江夏(鄂県→武昌郡武昌県;現在の武漢)…と思っておく。
ちなみに赤壁はこのマップの下半分の江水水域。
30.江陵 マップが2本の河によって三分されている。上の河が漢水で、架かっている橋が長坂橋、その左の城が当陽県(または麦城)だと思われる。
ずっと南下して2つある城が南郡(江陵県)、その左下を流れる河が江水と思われる。南郡の南の街道は華容道かもしれない。
マップ右の水域は洪湖だと思われるが、これは本来漢水とは繋がっていない。
31.長沙 「ここはどこ〜?」なマップである。
2本の太い河によって三分されたマップだが、右側の河は湘水。北の洞庭湖に向かって注いでいる。よって湘水の北岸の城が臨湘県(長沙郡治所)であろう。
一方左側の河は資水。遡ると益陽県に至ると思われる。
中央下にある2つの城は、上から湘南県(衡陽郡治所)、衡陽県だと思われる。実際の地理とは合わないけど。
32.桂陽 …なぜか荊州のマップは適当さが目立つな。桂陽には2本の河(湘水とその支流)で挟まれた地域があるが、その一帯に桂陽郡の治所[林β]県はない。
3つの城のうち右上が耒陽県、右下が[林β]県、左が南平県ではないかと推測される。
33.武陵 2本の太い河がマップをほぼ3つに分断している。上が[シ豊]水、下が[シ元]水。2本とも東の洞庭湖に向かって注いでいる。
2つの城は左が、酉陽県、右が臨[シ元]県(武陵郡治所)ではないかと思われる。
34.零陵 零陵郡は湘水上流域にある。治所泉陵県はマップで言うと、河で三分された陸地のうち右側の平地にあるはずだが、位置が移動しているように思われる。
残る2つの城は左が零陵県、右が[シ兆]陽県だと思われる。
35.建業 マップの半分を占める広大な水域は江水下流。その南岸に上は石頭城、下は丹楊県の城があり、中央右下の4つ固まった城が建業(秣陵県)を表している。
36.呉 マップ右上と左下を水域が占める。右上は東シナ海、左下は○沢で会稽に続く。
3つある城は上から順に[田比]陵県、無錫県、呉郡呉県。
37.会稽 マップ中央を占める水域は○水の河口。河口の北岸の城が銭塘県、南岸の城が山陰県(会稽郡治所)。
マップ左上にある沼沢は○沢、その湖畔にある城は烏程県。
38.廬江 マップのほぼ全域を河川と沼沢とが占める。
マップ上方の沼沢は芍陂、マップ下方を横断する河は江水。したがって実際の地理とは少しズレるが、3つある城のうち左下は皖県(呉の廬江郡治所)、右下は舒県、上は六合県(魏の廬江郡治所)だと思われる。
巣湖の方が形としては似ているが…。
39.[番β]陽 マップの大部分を占める沼沢は[番β]陽湖。むしろ赤壁の戦いのモチーフとなった朱元璋VS陳友諒の戦いで有名。
マップ左上に向かって江水に繋がる。が、当時[番β]陽湖は彭蠡沢という名前だった。困ったね。
マップに2つある城は左から[梟β]陽県、[番β]陽郡だと思われる。
40.豫章 イメージ的には赤壁のマップなのであろうが、マップの上半分を占める水地形は彭蠡沢。江水中流にある大沼沢である。
点在する3つの城のうち、左上は柴桑県、右上は彭沢県(または[梟β]陽県)。中央下にあるのが豫章郡の治所、南昌県。
南昌県の左手の河を遡ると廬陵に至る。
江夏から攻め込んだ部隊が配置されるあたりが尋陽県。
41.廬陵 豫章郡の上流域に位置している。
2つある城のうち、下側が廬陵郡の治所、高昌県。上側は石陽県(または西寧県)だと思われる。
42.永安 正確には巴東郡永安県。改称前は白帝城と呼ばれた。
マップ的には夷陵の古戦場もイメージしたものとなっているようだ。マップ中央を横断する河が江水(右端で江水に注ぐ支流は不明)、合流点あたりの城がシ(のぎへん…としか書けない)帰県であろう。
マップ上半分を占める低山は巫山。江水北岸にあるもう1つの城(左側)が白帝城で、山中にある城は巫県(建平郡治所)。
江南の高山は荊門山だと思われる。
43.江州 正確には巴郡江州県。下の梓潼の項目で説明した河と江水との合流点の北東岸にある…が、マップでは河が見当たらない。
マップに3つある城はイメージ的には、左下が江州県、中央右が臨江県、山上にあるのが宕渠塞か。
44.成都 マップが2つの関と1つの河に隔てられている。
梓潼から攻めた時最初にぶつかる関が緜竹関。2つの関に挟まれた城は緜竹県とも取れるが、恐らくは益州廃州治の広漢郡[各隹]県。
2つ目の関は不明。その南にある4つの城が成都県(蜀郡治所)を表している。河を隔てて南にあるのは恐らく武陽県([牛建]為郡治所)。
成都と[牛建]為とは本来このような形で河に隔てられてはいないが、両郡が青衣水の同じ支流の東岸にあるため、この河をイメージしたのかもしれない。或いはもっと東を流れる洛水か。いずれの河も南方で江水に合流する。
45.梓潼 マップが2つの関、2つの河に隔てられ、河畔に2つの城がある。
漢中から攻めた時最初にぶつかる関が葭萌関、その右手の高山は大巴山である。
2つ目の関は剣閣。剣閣から少し南下したところにある城が梓潼郡。いま1つの城はフ(さんずいに「倍」の旁)県であるが、実際には河の東岸にあるべき。
2つの河は下流で交わって、やがて江州で江水に合流する。
46.建寧 建寧というからには越シュン(やまかんむりに「雋」)郡(治所コウ[左に「工」右に「叩」の旁]都県)や[爿羊]柯郡(治所且蘭県)ではなさそうだ。
マップには2,3の沼沢が存在し、うち左下にある最大の沼沢から中央上へかけて河が流れている。これは江水とその水源の1つである昆明池であろう。昆明池の東畔にある城は[シ眞]池県([シ眞]国)であろう。
マップ右にある城が味県(建寧郡治所)。なおマップ右下をわずかにかすめる河は○水。東方交州へ向かって流れ、下流域に鬱林郡布山県、蒼梧郡広信県、南海郡番禺県(いずれも郡治所)がある。ちなみに河口にあるのは克R(南宋終焉の地)。
47.雲南 マップの約2/3を沼沢が占める。沼沢の名前はさっぱり。
3つある城のうち、中央左が南中郡、左下が永昌郡、右下が雲南郡かな。


2.名声の上がり方・下がり方
名声が低いとコマンド回数が少ないし、領土を広げる度に不利益を蒙るので何とかしたいところです。

巡察 通常時
賊出現 話し合う…名声が6↓
退治する…名声が↑
 
金1000を施す…名声が3↑
何もしない…名声が12↓
民忠が3↓
民忠が3〜4↑。↑名声は実行武将の最大能力値の1/10前後。
退治に成功すると実行武将の勇名100↑
民忠が4↑
民忠が5↓
民の評判 米を施す…名声・民忠が↑
何もしない…名声が1↓
兵糧5千につき名声1、端数切り上げ。兵糧3600以上施さないと名声が上がらない。
民忠が4↓。
義勇兵
(名声400以上が条件)
受け入れる…名声が1〜2↑
断る…名声が1↓
民忠が3〜4↑。義勇兵の数は名声の約10倍。
民忠が3〜4↓。
季節イベントに伴う巡察 1・4・7・10月限定
疫病 金を施す…
米を施す…
励ます…
台風 金を施す…名声が↑
米を施す…名声が↑
治水を行う…名声が1〜2↑
励ます…名声が4↓
施した金の量に応じて民忠が↑。
施した米の量に応じて民忠が↑。
民忠が3〜5↑。
民忠が3〜5↑。
洪水 米を施す…
治水を行う…
励ます…
いなご 金を施す…
米を施す…
励ます…
凶作 金を施す…名声が↑
米を施す…名声が↑
励ます…名声が3↓
施した金の量に応じて民忠が↑。
施した米の量に応じて民忠が↑。
民忠が3〜5↑。
豊作 見物する…
祭りに参加する…名声が2↑
中止させる…

民忠は実行武将の最大能力値の1/10前後↑。
突発イベント
泥棒の夢 放っておく…名声が11↑
城下で一斉捜索…名声が11〜13↓
斬りつけられる夢 放っておく…名声が11↑
武将を呼び寄せる…名声が11↓
斬る…名声が22↓
呼び寄せるのも斬るのも「夢に出てきた武将」
人物評価 好相…名声が22↑
凶相…名声が22↓
名声が上がる確率は1/3
突発イベント(その他) 別途記載
歴史イベント 別途記載
評定
軍事・都市攻略 達成…名声が35↑
失敗…名声が35↓
翌年1月の時点でその都市を保持
軍事・兵力増強(1万5千) 達成…名声が11↑
失敗…名声が11↓
予備兵を現役投入したものもカウントされる
軍事・兵力増強(2万) 達成…名声が22↑
失敗…名声が22↓
同上
軍事・兵力増強(3万) 達成…名声が35↑
失敗…名声が35↓
同上
人事 達成…名声が17↑
失敗…名声が17↓
その武将を修行に出していてもよい
内政・100UP 達成…名声が11↑
失敗…名声が11↓
内政・150UP 達成…名声が22↑
失敗…名声が22↓
内政・200UP 達成…名声が35↑
失敗…名声が35↓
外交・同盟(18ヶ月以上) 達成…名声が11↑
失敗…名声が11↓
外交・同盟(24ヶ月以上) 達成…名声が22↑
失敗…名声が22↓
外交・同盟(36ヶ月以上) 達成…名声が35↑
失敗…名声が35↓
計略・住民叛乱 達成…
失敗…
計略・駆虎呑狼 達成…
失敗…
翌年1月の時点でその新君主が存続
特殊・アイテム取得 達成…
失敗…


3.内政と都市発展
「内政」コマンドを実行しなくても内政値が逓増するには条件があります。
・内政担当官がいる。(防御度は例外)
・都市の民忠が61以上。
・君主の名声が300以上。
しかしこれだけでは、治水だけは75までしか上がりません。治水が76以上に上がるためには
・君主の名声が500以上。
・都市の民忠が90以上。

4.COM君主が引き抜く時
COM君主が他君主の武将に対して人材登用を試みるにはある一定の基準があります。
逆に言えば、COM君主がアクセスしてこない武将はCOM的に「雑魚武将」認定されている事になります。
さて、その基準は…

・武力が79以上である。例外:奚泥(武力80)
・武力が70以上でかつ、知力60以上または魅力70以上。
・文官タイプで知力・政治のいずれかが70以上。
・文官タイプで魅力70以上かつ、知力・政治がともに60以上。
・能力の総合値が230以上。
ボーダーラインにいる人々
総合239…(劉封)
総合238…趙広・孫秀
総合237…趙統(・袁術・袁尚・王修・蒋済)
総合236…王朗・曹昂・全?・孫異・公孫恭(・曹彰・張燕)
総合235…(李儒・魏延・朶思大王)
総合234…袁譚・張允・劉循(・韓嵩・陸績・諸葛尚)
総合233…倫直・牽弘(・陳矯・許攸・華覈)
総合232…(文鴦・郭奕・鐘?)
総合231…曹純・夏侯徳・傅嬰(・陶謙・呉綱)
総合230…申耽・張勳・卑衍・李粛・樊建・沈瑩(・華?・陳琳・向朗・厳o)
総合229…孫匡・曹訓・劉j(・橋玄・孟獲)
総合228…州泰・全端(・郤正)
総合227…胡班・曹爽・万ケ(・于吉・郭図・凌操・程秉・滕胤)
総合226…(劉永)
総合225…王昶・張虎(・ケ忠)
総合224…(?周・南華老仙)
総合223…馬遵(・禰衡・臧覇)
総合222…楊済(・高覧・孫翊・?羲・劉理・尹黙・桓範)
総合221…夏侯恩・劉璋・陳騫(・左慈・呉蘭・劉g)
・以上を満たさないが、例外的にアクセスがある武将。
韓馥・キョウ都・厳白虎・厳輿・胡遵・高幹・高覧・黄祖・呉班・蒋義渠・張英・張温・裴元紹・馬遵・馬忠(蜀)・劉辟・雍ガイ


▲兄上と呼ばないのは君臣の別を弁えているからか、それとも光栄の設定ミスか。

5.全地形対応型
デフォルトで平地・山岳・水上用の陣形を持っている武将のみピックアップ。
8人の特別武将を除くと呉の名将が圧倒的に多い中、気を吐いているのが張遼・満寵・程銀。周瑜や諸葛亮ですら揃えていないのに程銀がとは。
程銀の陣形は孫堅と全く同じで、この中で「強行」「速攻」を揃えているのも程銀だけ(張遼・太史慈・孫瑜が速攻のみ)。そして死亡率を下げる鈎行の陣形。
程銀は何気に使い勝手がいいのだ。

錐行 鈎行 箕形 鶴翼 魚鱗 偃月 鋒矢 衡軛 長蛇 方円 雁行 水陣
于吉
華佗
管輅
許子将
左慈
紫虚上人
司馬徽
南華老仙
朱桓
周泰
徐盛
孫堅
孫権
孫策
孫韶
孫瑜
太史慈
張遼
程銀
程普
満寵
陸抗
陸遜
凌統



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