京都新聞で新しく始まった連載小説は、
「町衆の城」というタイトルだそうだ。
江戸時代初期、京都の西北・鷹ヶ峰の地に
芸術村という場所があり、桃山文化を
維持し、本阿弥光悦を領袖として
なかば独立国のような存在だったという。
江戸幕府にとっては煙たい存在で、
両者の対立を描いた小説とのこと。
そんな時代があったということを知らなかった。
幕末の京都が多くの尊皇攘夷の志士たちを抱え、
幕府と鋭く対立していたというのは有名な話だが、
京都にはそんな反体制の伝統があるということか。
志士たちの活動を密かに支える町人も多かったらしい。
現代ではどうか。
京都は革新勢力の拠点として有名であり、
大学では今日もトラメガ持って
叫んでる学生がいる。
オウム真理教の信者も大勢京都に
流れ込んできているという噂を聞く。
オウムに対してはどうかわからないが、
京都の大学は学生の政治活動に対して
比較的寛容であるように思える。
京都という街が反体制の人々をかくまうという精神風土を
持ち合わせているとしたら、その理由は何だろう。
古い歴史を背負っているという自負が
現行の体制や流行に流されない気質を形作ったのだろうか。
他にこのような特性を持った街はないだろうかと考えて、
ひとつ思いついた。
パリ。
多くの革命家をかくまってきた街だ。
ホメイニもホーチミンも、パリで自らの革命構想を練った。
パリもまた古い都市であり、
その住民は自らの歴史に誇りを
持っている。自分に自信があるから、
周囲の状況に流されない。
現代という時代を冷めた眼で見られる。
京都やパリの人が反体制勢力を応援したり、
寛容であったりするのは、長い歴史が
生み出した貴重な特性だと思う。
時に革命や社会改革が多くの人に
幸せをもたらしたことを思えば、
「かくまう街」はこれからも
残って欲しいものである。
(98/12/3)
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