【体験報告】
箱男



道を歩く箱男



街の風景にとけこむ箱男



赤信号に気づかない箱男



通行人にまぎれこんだ箱男



警察官に質問される箱男



安部公房の「箱男」を読んだ。

ダンボール箱を頭からかぶって徘徊する男の話。
「匿名の市民だけのための、匿名の都市――
 扉という扉が、誰のためにもへだてなく開かれていて
 他人どうしだろうと、とくに身構える必要はなく、・・・」
この世界が持つ無数の「棘」から身を守るため、箱の中に暮らす男。
他人から見られることなしに、相手を一方的に覗く快感に溺れていく。

これは是非やってみなければと思い、さきほど実行してきた。
へなちょこなので、ほんの数時間だけ、である。

作品では冷蔵庫のダンボールなどが使われていたが、
あいにくそんな大きな箱が無かったので、いくつかの箱をガムテープで繋ぎ合わせる。
合体してできた箱は縦横それぞれ1m、高さは1m50cmくらい。

眼の高さあたりに、縦に細いスリットを入れる。これは重要。この覗き窓を通して、外を見る。
作品によると、この隙間によって
「ちょっとした加減で、はっきり意思表示することだって出来るのだ」
なんて書かれているが、本当かいな。そのへんちょっと確かめなくては。

原作になかった機能として、小銭の出し入れをするための小さな引出しを付けた。
これは、喫茶店で代金を払うために必要。
手を出す穴も無いのでコーヒーなんて飲めないのだが、
「ホットひとつ」とか注文して、まわりの客を期待させまくったあげく、
口ひとつ付けずに出て行くという・・・。
喫茶店はコーヒーのためでなく、くつろぎのためにあるという点を再確認させる。

さて、箱の中でリュックを背負い、準備はととのった。

我が家を出てとことこ歩く。
何人かとすれ違うが、これといった反応は無し。
誰とも視線が合わない。
といってもこちらの眼は向こうから見えないわけで、視線が合わないのも当然か。

50m歩くと、行きつけの喫茶店である進々堂寺町店だ。
前にいたおじさんがドアを開けたのにくっついて、するりと入り込む。

案内されるのも待たず、空いている席に向かう。
椅子をがたごと言わせながら、なんとか座ることが出来た。不安材料をひとつクリアだ。
そばにいたおじさんが、「おお、座れた」とか言ってた。

ウェイトレスが来るのを待っていると、横からこんこん叩かれる。
「すいません、なんですかこれ?」
野太い男の声。スリットから覗くと、店のおっさんだ。
「なんですかこれ?」
「表現活動です」
「なんやそれ」
自信を持って答えたつもりだったが、おっさんの方が堂々としている。
「どうやってコーヒー飲むの?」
鋭い質問。
「いや、注文はしますけど、飲まずにただ座ってゆっくりしようかと・・・」
「あのねぇ、すまないけど、他のお客さんびっくりしてはるし。やめてもらえないかな」

あたりを見回して他の客の反応を見ようと思ったが、
座っていると回転できない。覗き窓がひとつしかないので、前しか見えない。悔しい。

おっさんが譲るようにも思えなかったので、あきらめて店を出る。そしてさらに歩く。

京都市役所の前ですれ違った、小学生くらいの男の子たち。
「うわっ、あやしい物体が!」
と露骨に興味を示してくれる。だが、さすがに近寄って来ない。

若干の寂しさも感じながら、僕はとぼとぼと歩き続ける。
と、広場を出かかったところで、箱の下から小さな女の子が滑り込んできた。
下から好奇心旺盛な眼で僕を見上げる。

そうか、箱男の弱点は下から覗かれることなのだ。
そしてそんなことをするのは子供たちに限る。
箱が自己を匿名化するところの「殻」であるとすれば、
その中に隠された生身の心に入って来られるのは
社会の形式に染まりきっていない子供の心のみ。
なんと象徴的なことか。

女の子は「なんだ、カメラの人か」と意味不明なコメントを残し、出て行ってしまった。
別にカメラなんて持ってないのに・・・。
これと同じような手法で盗み撮りしているカメラマンでもいるのか?。
あまり効率いいとは思えないが。

しばし子供たちの相手をした後、もっと賑やかなあたりに移動。
人で賑わう街頭に座り込み、物体と化すのも今回の目的のひとつ。
相手に気づかれないまま、一方的に観察する。
道の真ん中でやっているのだから、覗きとして咎められることもないだろう。

三条河原町のペコちゃん人形の横にたたずむ。
こうやってずっと座っていたら、箱がやって来るのを目撃した人たちはみな行ってしまい、
あとから来た人たちは、ただのダンボール箱と思ってくれるだろうか?。
ペコちゃん人形のように、風景の一部になれるだろうか?。
だとしたら、いきなり立ち上がって驚かすことも出来よう。

間隔を置いて何度か「いきなり立ち上がり」を試みたが、通行人の反応は無し。
やはり完全に物体になりきることは出来ないのか。
この箱の大きさは、中に人が入っている気配を発散しまくっているということか。

箱になりきれない自分にがっかりしながら歩き、
やがて寺町六角の広場に辿り着く。
ここはあたりを見回すことが出来て、通行人を観察するには格好の場所だ。
広場なので、大きなダンボールが捨ててあっても違和感は無い。
僕は広場の端っこに座り込み、観察を始める。
心なしか、いつもより女の子の足が眩しかったりする。
いかん。変な方向にハマってしまいそうだ。

箱の中には懐中電灯が貼り付けられており、本を読むことだって出来る。
いきなり誰かに箱をはがされた時に絵になるよう、
難しそうな字ばっかりの本を開いておく。

すると案の定、数分経ったところで荒っぽくこんこん叩かれる。
「ちょっと。何してるんですか」
覗くと、青い制服が見えた。
「いや、あの、表現活動を」
「表現活動?」
「はい、あの、街頭表現活動です」
「はがすよ」
「ああっ」
箱はあっけなく引き剥がされてしまった。
無防備なまま、広場の一角に座った僕がいる。

驚いたことに、寺町六角の広場をぐるりと取り巻いて、50人近いギャラリーが。
気づかなかった。細いスリットからは見えるはずもない。
みんな、固唾を飲んでことの成り行きを見守っている表情。

まるで裸でそこに座っているような気がして、おなかの底が締め付けられる。
間違って舞台に出てしまった大道具係のような、気まずい気持ち。

「何してるんですか」
警察官に問いただされ、我に返る。
「いや、あの、安部公房に『箱男』という作品があって、それを実地で行なっていたんですが・・・」
用意してあった文庫本を見せる僕。
「知らんよそんなん」と、にべもない一方のお巡りさん。
もうひとりが、
「いやぁ、不審者がいるって通報があってさ。放っておくわけにも行かないから」
いったい、どんな人が通報するんだろう・・・。世の中にはまじめな人もいるものだ。

「すまないけど、実験、終了ということで。すまんな」
しきりに謝っている所を見ると、このお巡りさんは表現活動に理解がある。
「わかりました」
僕がおとなしく立ち上がり、そして横に転がっていた箱をもう一度かぶると、
今度はギャラリーが大うけしていた。そうか、みんな、笑いたいのを我慢していたわけね。

箱をかぶったまま、引き上げていく僕。みんなの雰囲気が暖かい。
中にどんな人間が入っているか分かったので、安心したのだろう。

それどころか、後ろから何人かついてくる気配。
振り返ってスリットから覗くと、高校生くらいの男の子たちであった。
「これからどこ行くんだろ?」
「なんでもっと早く連絡してくれなかったんだよ?」
とか話してる。

そのまま寺町を北上したが、げらげら笑いながらずっとついてくる。
僕が走り出したりすると、大ウケして、むこうも走って追いかけてくる。

フェイントで地下街の階段に座り込んだところ、爆笑される。
いつもダンボールにくるまっておじちゃんらが寝ている場所である。

だが、京都市役所前を過ぎたあたりで、男の子たちの声が聞こえなくなった。
振り返ると、ひとりを残してみんな、後ろの方に残っている。
ついてくることをあきらめたのだろう。

このままお別れしてしまうのももったいないと思ったので、
近くにいた男の子に近づく。男の子は一瞬身構えた。
「興味を持ってくれてありがとう」
普通に話し掛けたら、緊張を解いてくれた。
「これからどこに行くんっすか?」
「いやぁ、もう家に帰るよ」
そう言って、箱に取り付けた引出しから名刺を差し出す。初めて活用できた。

集まってきた高校生たちに、あちこち触られる。擬似的にくすぐったい。
「どっから見てるんですか?」
と聞かれた。覗き窓は分かりにくいものなのか。意外な発見だった。
しばらく話したのち、別れた。

男の子たちには悪いが、「喫茶店でゆっくり」をあきらめきれなかった僕は
そのまままっすぐ家に帰らず、河原町二条のカフェを訪ねた。

店に入ろうとして、恐ろしいことに気づいた。

引き戸なのだ。

しまった。箱男は、けして引き戸を開けることが出来ない。
このままドアで立ち往生して、みんなの笑いものだ。

するとウェイトレスの女の人がやって来て、ドアを開けてくれた。
僕は涙が出そうなくらい感動した。
こんな、箱、に・・・。
席まで案内される。

だがこの時、以前ウェイトレスさんを叱り付けていたのが
すごく印象に残っている店長らしき男の人がやってきて、
僕の前に立ちはだかって言う。
「すいません、脱いでいただけませんか」
怒っているというか、あきれている感じ。

「脱がなきゃダメですか」
「はい」
「うーん、そしたら、すいません。失礼します」

箱をどうしても脱げない理由を考えつかず、おとなしく店を出てしまった。

だが、ここで引き下がってはもったいない。

しつこい僕は、店から歩道を隔てた生垣の前に座り込む。
これは安部公房の原作にも載っていた強烈な攻撃方法である。
家の前に箱男が座り込むと、みんな居ても立ってもいられなくなるらしい。
案の定、店長はガラス越しにふてくされた顔で僕を(=箱を)見ている。

それどころか、窓際に座っていた女性客が箱をじっと見て、
店員さんに何か告げると、別の席に移動していった・・・。

いったい何と言って席を変えてもらったんだろう?。
「店先に変な箱があるんですけど」
「あの箱が見えない席に移っていいですか」
気になるところだ。

わざわざ移動させてしまって、お客さん、ごめんなさい。
それから店長さんも、ウェイトレスさんも。
店長さんはこの前、ウェイトレスさんにすごくキレてたけど、
彼女のことを思ってですよね。悪い人じゃないですよね。
今度は箱無しでまた行きます。

やがて箱は、とぼとぼと歩いて家に帰った。

以上、報告であった。

℃ Taro Tezuka (2002.2.13)


写真は、友人のHくんに箱男をやってもらった時のものです。
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