三國志Vの部屋 その肆 〜デモプレイモード〜
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シナリオ1 黄巾の乱
184年8月 ?の戦い(○張角-孔?×)。孔?滅亡
185年2月 濮陽の戦い(○張角-橋玄×)。橋玄滅亡
185年7月 平原の逢紀、張角から独立
185年7月 平原の戦い(○張角-逢紀×)。逢紀滅亡
186年6月 北海の戦い(○張角-?景×)。?景滅亡
186年10月 ?の戦い(○張角-韓馥×)。韓馥滅亡
189年1月 寿春の戦い(○孫堅-劉?×)。劉?滅亡
190年2月 会稽の戦い(○孫堅-厳白虎×)。厳白虎滅亡
190年5月 徐州の戦い(○張角-陶謙×)。陶謙滅亡
191年1月 平原の逢紀、張角から独立
191年1月 平原の戦い(○張角-逢紀×)。逢紀滅亡
193年1月、張角病死。張宝が後を継ぐ
193年1月 平原の逢紀、張宝から独立
193年1月 平原の戦い(○張宝-逢紀×)。逢紀滅亡
195年10月 襄平の戦い(○張宝-公孫?×)。公孫?滅亡
198年1月 劉焉死去。劉璋が後を継ぐ
201年4月 代県の戦い(○張宝-劉璋×)。劉璋滅亡
202年10月、董卓死去。董旻が後を継ぐ
203年8月 西涼の戦い(○張宝-董旻×)。董旻滅亡
204年10月、張宝死去。張梁が後を継ぐ
204年10月 零陵の雍?、孫堅から独立
204年10月 零陵の戦い(○孫堅-雍?×)。雍?滅亡
205年1月、孫堅死去。孫策が後を継ぐ
205年10月、張梁死去。夏侯惇が後を継ぐ
206年7月、丁原死去。曹操が後を継ぐ
206年10月、何進死去。劉備が後を継ぐ
210年12月 建寧の戦い(○孫策-劉備×)。劉備、斬首される。劉封が後を継ぐ
211年3月 上庸の戦い(○孫策-劉封×)。劉封滅亡
212年7月 孫策死去。孫権が後を継ぐ
216年8月 晋陽の戦い(○孫権-夏侯惇×)。夏侯惇、斬首される。司馬懿が後を継ぐ
216年10月 代県の戦い(○孫権-司馬懿×)。司馬懿滅亡
218年1月 孫権、帝位に就く
221年1月、曹操死去。曹丕が後を継ぐ
221年5月 新野の戦い(○孫権-曹丕×)。曹丕滅亡

【経過】
 最初に動いたのは孫堅。劉?の寿春を攻めるが、援軍の曹豹に兵糧を奪われ、まさかの撤退。が、秋を経て今度は建業に侵攻。劉?は戦わずに逃げ出した。のち、孫堅が先に廬江を占拠して劉?の逃避行を阻止し、あっさり滅ぼした。劉?は孫堅に臣従。
一方、二強のうち何進が全く動かなかったため、張角は順調に領土を連結・拡張する。孔?・橋玄・逢紀・?景・韓馥は張角に臣従。何進が動き始めたのは191年からだが、洛陽・宛を巡って一進一退を繰り返し、次第にジリ貧へと転じる。
孫堅は長江を遡り、弱り目の何進と衝突。梓潼までを奪取。今度は張宝に矛先を転じ、張宝が何進・董卓を攻撃している隙に沿海地方を侵食する。
紆余曲折を経て劉備・曹操が主君となり、対孫策の元同盟を結ぶ。
209年6月、襄陽・上庸に逼塞していた劉備が曹操の共同軍を得て、永安を奪取。そのまま入蜀を果たすが、すぐさま孫策の追撃を受ける。さらに雲南攻略中に兵糧を奪われて主力が壊滅、建寧で横死した。後を継いだ劉封も上庸のみ、兵糧わずか692で、すぐに壊滅。孫策に臣従した。
その後、夏侯惇は孫策に長安を奪われて東西に分断。東方に残った領地では孫権への内応者が相次ぎ、戦線崩壊。夏侯惇は晋陽で捕虜となり斬首された。後を継いだ司馬懿も挽回できぬまま滅ぼされ、臣従。
217年1月、孫権軍は唯一残った新野の曹操領に攻め込むが、敗北。以後何度も敗北を重ね、逆に曹操軍が充実する。だが曹操が死ぬと大量の内通者を出し、曹丕滅亡。曹丕は処刑され、孫権が全土を統一した。

シナリオ2 洛陽炎上
191年3月 ?の戦い(○袁紹-韓馥×)。韓馥滅亡
192年4月 董卓、呂布に斬殺される。呂布が後を継ぐ
192年9月 襄平の戦い(○袁紹-公孫?×)。公孫?滅亡
195年4月 陶謙死去。孫乾が後を継ぐ
195年4月 濮陽の戦い(○曹操-橋瑁×)。橋瑁滅亡
196年12月 永安の戦い(○劉焉-呂布×)。呂布、斬首される。荀ケが跡を継ぐ
197年7月 長安の樊稠、荀ケから独立
197年7月 長安の戦い(○袁術-樊稠×)。樊稠滅亡
197年10月 ?の戦い(○曹操-孔?×)。孔?滅亡
197年12月 下?の戦い(○曹操-孫乾×)。孫乾滅亡
198年4月 安定の戦い(○馬騰-荀ケ×)。荀ケ滅亡
198年7月 劉焉死去。劉璋が後を継ぐ
198年7月 呉の戦い(○曹操-厳白虎×)。厳白虎滅亡
198年10月 孫堅死去。孫策が後を継ぐ
198年10月 廬陵の戦い(○劉表-劉?×)。劉?滅亡
198年11月 会稽の戦い(○曹操-王朗×)。王朗滅亡
200年8月 北海の戦い(○曹操-孔融×)。孔融滅亡
200年12月 平原の戦い(○曹操-劉備×)。劉備滅亡
203年7月 長安の戦い(○袁紹-袁術×)。袁術滅亡
206年10月 襄平の戦い(○曹操-袁紹×)。袁紹滅亡
208年10月 劉表死去。劉jが跡を継ぐ
211年7月 孫策死去。孫権が後を継ぐ
214年9月 武陵の戦い(○曹操-孫権×)。孫権滅亡
216年2月 江陵の戦い(○曹操-劉j×)。劉j、斬首される。遺臣、劉璋に国を献ず
216年8月 安定の戦い(○曹操-馬騰×)。馬騰滅亡
218年1月 曹操、帝位に就く
221年4月 曹操崩御。曹丕が後を継ぐ
222年8月 成都の戦い(○劉璋-曹丕×)。曹丕、斬首される。曹叡が後を継ぐ
223年12月 襄陽の戦い(○劉璋-曹叡×)。曹叡、斬首される。曹彰が後を継ぐ
224年7月 寿春の馬謖、曹彰から独立
224年7月 寿春の戦い(○曹彰-馬謖×)。馬謖滅亡
225年1月 曹彰崩御。曹熊が後を継ぐ
231年1月 曹熊崩御。曹植が後を継ぐ
233年1月 劉璋死去。劉循が後を継ぐ
235年1月 曹植崩御。?昭が後を継ぐ
235年4月 永安の戦い(○劉循-?昭×)。?昭、斬首される。司馬懿が後を継ぐ
237年10月 江陵の戦い(○劉循-司馬懿×)。司馬懿、斬首される。司馬師が後を継ぐ
238年10月 寿春の馬謖が司馬師から独立
238年11月 寿春の戦い(○司馬師-馬謖×)。馬謖、司馬師に滅ぼされる(斬首)
243年11月 許昌の戦い(×劉循-司馬師○)。劉循、斬首される。姜維が後を継ぐ
246年4月 司馬師崩御。司馬炎が後を継ぐ
283年10月 姜維死去。杜預が後を継ぐ
289年10月、司馬炎崩御。司馬攸が後を継ぐ
295年10月、杜預死去。裴秀が後を継ぐ
299年1月、裴秀死去。陳寿が後を継ぐ
300年7月、司馬攸崩御。張華が後を継ぐ
303年4月、張華崩御。王戎が後を継ぐ
305年7月、王戎崩御。楊済が後を継ぐ
306年1月、陳寿死去。濮陽興が後を継ぐ
308年1月、濮陽興死去。岑?が後を継ぐ
308年10月、楊済崩御。薛瑩が後を継ぐ
309年7月、薛瑩崩御。魏滅亡
309年10月、岑?が死去。劉焉勢力滅亡

【経過】
 まず脱落したのは韓馥。反董卓同盟の間に袁紹が代県・晋陽・洛陽を占拠し、逃げ場を失ったところを叩かれた。
 董卓の後を継いだ呂布は劉焉軍によって漢中を失陥して勢力を分断され、そのまま永安で斬首された。安定でその跡を継いだ荀ケも、駆虎呑狼の計によって長安を失い、198年4月、馬騰によって滅ぼされた。
陶謙は橋瑁との共同軍で劉?領寿春を攻めたが、これは倍する兵力で臨みながら各個撃破を受けて敗退。再び194年4月、今度は孔?との連合軍によって攻め取る。孔?軍に?都・典韋・于吉がいたのが大きかった。劉?は孫乾を滅ぼした曹操の余勢と火事場泥棒の劉表の攻撃を受けて廬陵に逃れ、そこで滅亡。しかし翌月、孫策が行動を開始。予章・?陽・廬陵・江夏を相次いで奪う。
孔融は暫くの間曹操と同盟してその命脈を保ったが、同盟が切れるやたちまち曹操の侵攻を受け、滅亡。孔融と同盟していた劉備もその煽りで直後の滅亡となった。
その後、一時は長安・新野・廬江にまで勢力を伸ばしていた袁紹が、曹操の猛攻を食らって勢力を急速に縮小。206年10月には襄平で破れ、曹操の膝下に屈した。曹操軍は廬江・宛で2度、袁紹軍に兵糧を奪われたが、すぐに立て直して再侵攻した。が、袁紹は形勢不利になると相次いで徴兵を行い、瞬く間に瓦解した。
207年5月、その袁紹を総大将に、曹操軍が?陽を攻撃。張苞の内応もあって、わずか4日で陥落。翌月、孫策は劉表から武陵を奪う。
劉jは孫策の江陵への侵攻を、ときには兵糧を奪って何度か防ぐ。その隙に曹操が予章・廬陵を奪った。孫策が死ぬと孫権は劉璋と同盟して曹操に当たることにしたが、曹操軍の波状攻撃を受け、金が尽きて兵力の回復が間に合わず滅亡。曹操に臣従した。
劉璋は孫権勢力在命中、長沙の救援で徐庶・陳宮を手に入れ、劉jの共同軍も得て、曹操から長安を奪取(曹操は馬騰と同盟していた)。以後馬騰・曹操と二正面作戦を展開。長安を曹操に奪回された後、馬騰を安定に追い詰めたところで、曹操が馬騰を滅ぼした。しかし楊脩に赤兎馬を持たせるのはどーなんだろう?>劉璋
劉jは主力を新野攻略に振り向けた後、江陵で曹操軍主力の攻撃を受け、斬首される。劉jの遺臣は襄陽・新野を劉璋に差し出し、その版図に組み込まれた。
馬騰が滅んだ後は曹操と劉璋のマッチレースになった。曹操は劉璋を一時、上庸・永安・江州の3都市にまで追い込む。が、曹操が崩御して風向きが変わった。
曹丕は上庸攻略で2度兵糧を奪われ、軍が壊滅。その直後劉璋軍が成都に攻め込んだ。曹丕は退却限界を見誤って捕虜となり、斬首。曹魏はその後も後継者の短命・斬首が相次ぎ、結束が完全に破綻。大量の内通者を出した。
劉璋軍は蜀の五虎将と多数の軍師(田豊・沮授・陳宮・荀攸・楊脩・徐庶・諸葛亮・?統・馬良・蒋?・張松・張昭・陸遜・姜維・ケ艾)を擁して、局地戦で曹魏を圧倒した。劉璋軍も何度か敵に兵糧を奪われたが、劉璋が出陣しないのもあって、致命的なダメージにはならなかったようだ。
250年代に入ってから戦争はなくなり、荊北・司隷を境に勢力二分。最後は岑?がわずか1季節だけ長生きし、劉焉の逆転勝利となった。

シナリオ3 曹操の台頭
196年10月 北海の戦い(○袁紹-孔融×)。孔融滅亡
196年10月 弘農の戦い(×曹操-李イ?○)
196年11月 漢中の戦い(○劉璋-張魯×)
197年1月 安定の戦い(○馬騰-張魯×)。張魯滅亡
197年3月 袁術、帝位を僭称
198年6月 襄平の戦い(○袁紹-公孫?×)。公孫?滅亡
200年3月 濮陽の戦い(○袁紹-呂布×)。呂布滅亡
200年5月 弘農の戦い(○曹操-李イ?×)
201年4月 宛の戦い(○曹操-張繍×)。張繍滅亡
201年8月 長安の戦い(○曹操-李イ?×)。李イ?滅亡
203年5月 ?の戦い(○曹操-袁紹×)
204年2月 建業の戦い(○孫策-劉?×)。劉?滅亡
204年3月 呉の戦い(○孫策-厳白虎×)。厳白虎滅亡
204年3月 寿春の戦い(○劉備-袁術×)。袁術滅亡
204年4月 会稽の戦い(○孫策-王朗×)。王朗滅亡
208年12月 安定の戦い(○曹操-馬騰×)。馬騰滅亡
210年10月 襄陽の戦い(×曹操-劉表○)。曹操、斬首される。曹昂が後を継ぐ
211年1月 孫策死去。孫権が後を継ぐ
211年10月 袁紹死去。袁譚が後を継ぐ
212年2月 襄陽の戦い(○曹昂-劉表×)。劉表、斬首される。劉gが後を継ぐ
217年8月 武陵の戦い(○孫権-劉g×)。劉g滅亡
218年4月 曹昂死去。曹丕が後を継ぐ
219年1月 ?の戦い(○劉備-曹丕×)
220年4月 北海の戦い(○劉備-袁譚×)。袁譚滅亡
221年1月 ?の戦い(○曹丕-劉備×)
223年10月 建寧の黄権、劉璋から独立
223年10月 建寧の戦い(○劉璋-黄権×)。黄権滅亡
227年7月 劉備死去。劉封が後を継ぐ
232年10月 曹丕死去。曹叡が後を継ぐ
235年10月 劉璋死去。劉循が後を継ぐ
241年4月 曹叡死去。曹芳が後を継ぐ
253年1月 劉封死去。劉ェが後を継ぐ
254年10月 孫権死去。孫和が後を継ぐ
256年7月 劉循死去。張嶷が後を継ぐ
259年4月 孫和死去。孫皓が後を継ぐ
263年7月 張嶷死去。張翼が後を継ぐ
267年4月 張翼死去。遺臣、劉ェに国を献ず
277年4月 曹芳死去。曹髦が後を継ぐ
286年4月 曹髦死去。曹奐が後を継ぐ
287年4月 孫皓死去。孫秀が後を継ぐ
294年10月 劉ェ死去。杜預が後を継ぐ
295年4月 杜預死去。司馬攸が後を継ぐ
298年10月 司馬攸死去。陳寿が後を継ぐ
302年10月 孫秀死去。濮陽興が後を継ぐ
303年7月 濮陽興死去。沈瑩が後を継ぐ
303年7月 沈瑩死去。張象が後を継ぐ
305年7月 曹奐死去。楊済が後を継ぐ
306年1月 張象死去。岑?が後を継ぐ
306年10月 陳寿死去。劉備勢力滅亡
308年1月 楊済死去。薛瑩が後を継ぐ
309年10月 薛瑩死去。曹操勢力滅亡
310年1月 岑?死去。孫権勢力滅亡

【経過】
 孔融が最初に滅ぶのはほとんどこのシナリオの基本。曹操も最初に弘農を目指すのが基本だが、最初の戦争で勝てるかどうかが肝である。今回は梃子摺った。
劉璋軍は陽平関を抜くと、他の城には目もくれず張魯を叩く。張魯は初期兵力が足りなさすぎた。これで兵糧を失った張魯は、安定まで逃げたところで馬騰に滅ぼされた。
袁紹は順調に勢力を拡大。孔融・公孫?・呂布を臣従させる。
曹操は李イ?を臣従させた後、劉璋から漢中・下弁を奪うが、203年5月、?を落とす。銅雀台イベントに沿った思考ルーチンに、今回も忠実。
孫策は203年以降、急速に勢力を拡張。劉?、王朗を臣従させて呉越を固めた後は、荊南に侵攻する。荊北は曹操の侵攻するところとなったが、曹操自身は捕虜となって斬首。嫡子曹昂は襄陽の地で仇敵劉表を斬首した。
曹昂は袁譚討滅に手間取っているうちに死去。曹丕が後を継ぐと、劉備が曹丕領に侵攻を開始するが、?・許昌を落としたに留まった。
250年代以降戦争はなくなり、張翼が劉ェに禅譲すると、あとは三国による寿命の勝負となった。最後はまたも、岑?が1季節だけ長生きした。

シナリオ4 河北の嵐
208年1月 襄平の戦い(○曹操-袁紹×)。袁紹滅亡
210年9月 北海の戦い(○曹操-孫権×)。孫権、斬首される。孫瑜が後を継ぐ
212年1月 劉表死去。劉gが後を継ぐ
212年3月 漢中の戦い(×劉璋-張魯○)
215年11月 廬陵の戦い(○劉g-孫瑜×)。孫瑜、斬首される。孫朗が後を継ぐ
216年2月 会稽の戦い(○曹操-孫朗×)。孫朗滅亡
218年2月 漢中の戦い(○劉璋-張魯×)。張魯滅亡
218年4月 劉g死去。劉jが後を継ぐ
220年1月 安定の戦い(○曹操-馬騰×)。馬騰、斬首される。馬超が後を継ぐ
220年7月 西涼の戦い(○曹操-馬超×)。馬超滅亡
220年10月 曹操、献帝より禅譲を受ける
221年10月 曹操崩御。曹丕が後を継ぐ
221年11月 武陵の戦い(○曹丕-劉j×)。劉j滅亡
222年10月 新野の戦い(○曹丕-劉備×)。劉備滅亡
232年1月 曹丕崩御。曹叡が後を継ぐ
233年10月 劉璋死去。劉循が後を継ぐ
236年1月 廬陵の戦い(×劉循-曹叡○)。劉循、斬首される。姜維が後を継ぐ
237年3月 ?陽の戦い(○姜維-曹叡×)。曹叡、斬首される。曹宇が後を継ぐ
238年9月 下?の戦い(×姜維-曹宇○)。姜維、斬首される。?統が後を継ぐ
241年1月 武陵の戦い(×?統-曹宇○)。?統、斬首される。ケ芝が後を継ぐ
241年3月 武陵の戦い(×ケ芝-曹宇○)。ケ芝、斬首される。蒋?が後を継ぐ
242年11月 武陵の戦い(×蒋?-曹宇○)。蒋?、斬首される。費?が後を継ぐ
243年10月 廬陵の滕胤、費?から独立
243年10月 廬陵の戦い(○費?-滕胤×)。滕胤滅亡
245年4月 会稽の孫?、費?から独立
245年4月 会稽の戦い(○費?-孫?×)。孫?滅亡
247年8月 新野の戦い(×曹宇-費?○)。曹宇、斬首される。曹芳が後を継ぐ
262年1月 晋陽の黄皓、曹芳から独立
265年10月 費?死去。ケ艾が後を継ぐ
273年4月 寿春の岑?、ケ艾から独立
274年1月 曹芳崩御。曹髦が後を継ぐ
277年10月 ケ艾死去。ケ忠が後を継ぐ
286年10月 曹髦崩御。曹奐が後を継ぐ
292年10月 ケ忠死去。劉ェが後を継ぐ
293年7月 黄皓死去。黄皓滅亡
296年10月 劉ェ死去。濮陽興が後を継ぐ
306年1月 濮陽興死去。沈瑩が後を継ぐ
306年7月 沈瑩死去。楊済が後を継ぐ
307年4月 曹奐崩御。陳寿が後を継ぐ
307年7月 陳寿崩御。薛瑩が後を継ぐ
307年7月 楊済死去。劉璋勢力滅亡
309年7月 岑?死去。岑?滅亡
309年10月 薛瑩死去。魏滅亡

【経過】
 曹操は?・平原を落とすものの、北海を攻めあぐねている間に下?・北海を孫権に奪われる。が、その後は吹っ切れたかのように袁紹を滅亡に追い込んだ。むしろ208年まで袁紹の寿命が持った事の方が驚き。曹操はさらに下?を奪回して孫権を封じ込め、北海で斬首。以後孫瑜は徴兵を繰り返したのか曹操の計略の成果か、領内全土で住民叛乱が起こるようになった。214年1月、廬江の戦いでは、戦争中に周瑜が曹操軍に寝返るという椿事も(戦争は曹操軍が兵糧を取られて敗北)。だが兵糧を何度奪っても、曹孫の形勢は遂に逆転しなかった。
一方212年3月、張魯は劉璋・曹操の共同軍から、馬騰の援軍とともに漢中を防衛。217年にも一度、劉璋軍を退けたが、馬騰との同盟が切れるや即座に滅ぼされた。その後、曹操は再び劉璋と同盟して馬騰・劉j・劉備を滅ぼした。これで巴蜀・襄陽・上庸を劉璋が、それ以外を曹丕が支配し、全土が二分された。
223年9月、曹丕と劉璋の同盟が切れるが、再び同盟。226年10月、劉璋軍が江陵に侵攻するまで静穏を保つ。
229年7月、魏軍が梓潼に来寇したのに対し、救援に駆けつけた劉璋が葭萌関の北に出現、君主の退却による敗戦というポカをやらかす。劉璋はその後蜀・南蛮を失う。
お互い曹叡・劉循へと代替わりすると、劉循軍が長江を下って快進撃を始める。が、劉循自身は廬陵で頓死。後を継いだ姜維は?陽に曹叡を追い詰め、その首を挙げる。だが姜維は呉越を制圧した後、下?を攻めて捕まり、斬首された。曹宇はその後も敵君主を捕まえ次第斬首していき、滕胤・孫?の独立を煽る。が、これらは即座に滅ぼされ、斬首。
253年、下?の戦いを最後に戦争はなくなり、その後に独立した黄皓・岑?は病死するまで勢力を保った。最後は薛瑩が岑?より1季節だけ長生きし、前2度の借りを返した。

シナリオ5 臥龍出淵
208年11月 長沙の戦い(○孫権-韓玄×)。韓玄滅亡
208年12月 江夏の戦い(○曹操-劉備×)。劉備滅亡
209年1月 武陵の戦い(○曹操-金旋×)。金旋滅亡
209年1月 桂陽の戦い(○孫権-趙範×)。趙範滅亡
209年2月 零陵の戦い(○孫権-劉度×)。劉度滅亡
214年1月 曹操、帝位に就く
214年3月 陳留の戦い(○曹操-孫権×)。孫権滅亡
215年4月 漢中の戦い(○曹操-張魯×)。張魯滅亡
216年11月 雲南の戦い(○劉璋-孟獲×)。孟獲滅亡
217年9月 西涼の戦い(○曹操-馬騰×)。馬騰滅亡
220年4月 曹操崩御。曹丕が後を継ぐ
221年8月 雲南の戦い(○曹丕-劉璋×)。劉璋滅亡

【経過】
このシナリオは、最初の月に劉備がどこと同盟を結ぶかで趨勢が定まる。今回は韓玄と同盟した。これが第一の決定的要因である。
翌月、劉璋が漢中に侵攻したが、これは陽平関すら抜けずに敗退。
劉備&荊南四弱が滅んだ後、孫権は徐州・陳留を奪取。しかし210年、下?攻めで兵糧を奪われ、主力が壊滅。以後曹操の猛追撃を受け、まさかの6位敗退。
曹操は馬騰に一旦長安を奪われたものの、215年2月、奪還。これを機に翌月、張魯が劉璋と同盟を結ぶも、さらにその翌月には曹操の侵攻を受け、敢え無く滅亡。下弁・梓潼を失陥した劉璋は孟獲を滅ぼして後方を作る。以後曹操は暫くの間、馬騰討滅に意を用いた。
220年4月、曹操崩御。だが天下の趨勢は今更覆ることはなく、四度目の侵攻で成都陥落。最後は雲南で劉璋を処刑し、全土を統一した。

シナリオ6 三國鼎立
220年10月 曹操、献帝より禅譲を受ける
221年4月 劉備、漢皇帝を継ぐ
224年4月 曹操崩御。曹丕が後を継ぐ
226年1月 劉備崩御。劉封が後を継ぐ
229年8月 江州の戦い(○曹丕-劉封×)。蜀漢滅亡
230年4月 曹丕崩御。曹叡が後を継ぐ
230年7月 雲南の戦い(○曹丕-孟獲×)。孟獲滅亡
244年7月 曹叡崩御。曹芳が後を継ぐ
249年4月 徹里吉死去。遺臣、曹芳に国を献ず
256年1月 孫権死去。孫和が後を継ぐ
265年4月 孫和死去。孫皓が後を継ぐ
273年1月 曹芳崩御。曹髦が後を継ぐ
286年10月 曹髦崩御。曹奐が後を継ぐ
287年1月 孫皓死去。孫秀が後を継ぐ
304年4月 曹奐崩御。張華が後を継ぐ
305年7月 孫秀死去。沈瑩が後を継ぐ
305年7月 沈瑩死去。岑?が後を継ぐ
306年10月 張華崩御。陳寿が後を継ぐ
308年10月 陳寿崩御。薛瑩が後を継ぐ
310年1月 薛瑩崩御。魏滅亡
310年1月 岑?死去。呉滅亡

【経過】
 劉備が長安・襄陽に攻め込むものの、全く落とせずに崩御。後を継いだ劉封は徴兵を行い、人心が離散。曹・孫・孟に追い立てられる。孟獲は梓潼まで勢力を伸ばすが、即座に北から曹丕に押し戻された。劉封・孟獲はともに曹魏に臣従。
 だが蜀の名将達は魏への臣従を潔しとせず、挙って呉に流れる。これで陣容を厚くした孫呉が北伐を開始。襄平・代県まで進撃するが押し戻され、また平原まで伸びるが、再び沛・陳まで押し戻された。一方、魏は曹芳の代に荊州全土を奪った。
260年代に入ってからは戦争が絶え、最後は薛瑩と岑?が同月に死亡、同時入線となった。

シナリオ6 三國鼎立
※戦争OFF
220年10月 曹操、献帝より禅譲を受ける
221年4月 劉備、漢皇帝を継ぐ
221年10月 曹操崩御。曹丕が後を継ぐ
222年11月 会稽の戦い(○曹丕-孫権×)。孫権、斬首される。孫静が後を継ぐ
224年5月 ?陽の戦い(○曹丕-孫静×)。孫静、斬首される。陸遜が後を継ぐ
225年2月 廬陵の戦い(○曹丕-陸遜×)。陸遜、斬首される。呂蒙が後を継ぐ
226年10月 呂蒙死去。朱桓が後を継ぐ
226年11月 零陵の戦い(○曹丕-朱桓×)。朱桓滅亡
229年1月 劉備崩御。劉封が後を継ぐ
229年7月 曹丕崩御。曹叡が後を継ぐ
238年7月 武陵の戦い(○曹叡-劉封×)。劉封、斬首される。劉永が後を継ぐ
240年4月 上庸の戦い(○曹叡-劉永×)。劉永、斬首される。劉理が後を継ぐ
240年7月 成都の戦い(○曹叡-劉理×)。蜀漢滅亡
240年12月 雲南の戦い(○曹叡-孟獲×)。孟獲滅亡
242年10月 西涼の戦い(×曹叡-徹里吉○)
244年10月 曹叡崩御。曹芳が後を継ぐ
247年4月 徹里吉死去。ケ艾が後を継ぐ
252年8月 安定の戦い(○ケ艾-曹芳×)。曹芳、斬首される。曹宇が後を継ぐ
260年4月 安定の戦い(×曹宇-ケ艾○)。曹宇、斬首される。曹奐が後を継ぐ
265年4月 寿春の岑?、曹奐から独立
275年7月 ケ艾死去。ケ忠が後を継ぐ
287年7月 ケ忠死去。張布が後を継ぐ
289年1月 張布死去。徹里吉勢力滅亡
308年1月 曹奐崩御。諸葛?が後を継ぐ
308年10月 諸葛?崩御。薛瑩が後を継ぐ
310年4月 岑昏死去。岑昏滅亡
313年4月 薛瑩崩御。魏滅亡

【経過】
 蜀漢が襄陽を攻めあぐねている隙に、孫呉が襄陽・零陵を奪う。しかし徐州から曹操が南下。君主孫権が捕まって敗退を重ねる。孫権が斬首され戦線が崩壊した孫呉は徴兵を連発、名声を0にする。さらに度重なる君主交替で大量の内通者を出し、まさかの殿負け。孫呉の版図は全て曹魏に呑み込まれた。
 劉備の死後、劉封も度重なる外征の失敗で物資が底を尽き、徴兵を連発。590あった名声を90まで落とした。こうなると回復力が圧倒的に違う。劉封が斬首されて劉永が後を継いだものの、後は滅亡へ一直線。まさかのブービー負けとなった。劉理は曹叡に臣従し、孟獲は斬首された。
 徹里吉-ケ艾は魏の侵攻を3度にわたり防ぎ、逆に討って出る。安定まで落とし、曹芳、曹宇を斬首。曹魏は統一が目前とあって262年まで積極的に侵攻したが、遂に攻め切れなかった。その後に独立した岑?は攻められることなく、2着を攫っていった。
 恐らく太平清領道か青嚢書の効果であろう。今回は薛瑩が随分と長生きした。岑昏が死んだ時点で空白都市が4都市だったので、事実上魏が統一したとみていい。
 このシナリオ、普通なら孫権は下?に戦力を集中させて北上する。それを違えたのが今回の帰着点になった。

シナリオ7 星落五丈原
244年10月 曹叡崩御。曹芳が後を継ぐ
247年6月 襄陽の戦い(×劉禅-曹芳○)。劉禅、斬首される。劉ェが後を継ぐ
257年1月 孫権崩御。孫和が後を継ぐ
261年4月 孫和崩御。孫皓が後を継ぐ
276年7月 曹芳崩御。曹髦が後を継ぐ
283年1月 曹髦崩御。曹奐が後を継ぐ
292年7月 孫皓崩御。孫秀が後を継ぐ
292年7月 劉ェ崩御。陳寿が後を継ぐ
303年4月 孫秀崩御。濮陽興が後を継ぐ
305年4月 曹奐崩御。楊済が後を継ぐ
306年1月 陳寿崩御。蜀漢滅亡
306年10月 濮陽興崩御。薛瑩が後を継ぐ
308年7月 薛瑩崩御。呉滅亡
309年1月 楊済崩御。諸葛?が後を継ぐ
310年4月 諸葛?崩御。魏滅亡

【経過】
 シナリオ開始直後から蜀が積極的に魏に攻め込むが、上庸を落としたのみで、その後は敗退を重ねる。業を煮やした劉禅が襄陽に親征するも、うっかり捕虜となり斬首。そのまま255年以降は膠着した。孫呉は全く動かなかった。
 今回は薛瑩・岑?が思いのほか早く死去。最後は諸葛?がかなり長めに生き残った。
 ちなみに戦争OFFでもう一度やり直してみると、蜀は荊北・弘農・汝南まで伸びたが、孫呉はやはり動かなかった。

【総評】
・ 寿命勝負になると呉の人材が優位に立つ。諸葛?も呉に逃げた人物だし。
・ 兵糧は君主、軍師、陣立・仙術持ちが守る傾向にあり、出陣時の初期配置がこれにそぐわないと、長い距離を移動してでもこの原則に従う。その間、兵糧庫の守りは留守になる。
・ 兵糧番部隊に敵部隊が近接すると、兵糧番の役目を捨てて敵の側面に回ったりする。そのせいで兵糧を奪われるケースが多い。
・ COMは行動順をルーチン化しており、その順番を違えることがない。ために非効率的な行動が多い。順番の決定に関する要因は不明(知力・武力・勇名いずれでもない)。ただ、君主はほぼ最初で、特別武将はほぼ最後。
・ COMは速攻を全く使わない。一騎打ちはときどきする。
・ COM同士の戦争だと、攻撃側は地形を問わず足の遅い陣形を好む。神速で移動し、然る後に陣形を改めるというルーチンを持っていないらしい。江南で戦うと水上・沼沢をチンタラ移動してタコ殴りに遭う。また特に雁行を好み、これで直接攻撃する。
・ COM同士の戦争だと、なぜか敵の正面に回りこんで攻撃したがる。あるいは攻撃側が、わざわざ敵の攻囲の真ん中に突っ込んで攻撃し、手痛い反撃を受ける。
・ COM同士の戦争だと、守備側部隊は最初から多数出陣していると、敵の兵糧を奪いに行くのか、わざわざ城を離れて各個撃破の好餌になる。
・ COM同士の戦争だと、守備側部隊は弓攻撃ができるにも関わらず、未行動でターンを終えることがよくある(敵に応射がなくとも)。それで敵部隊を取り逃がすことが多い。
・ 守備側部隊が兵糧を奪いに行ったはずなのに、いざ奪えるというターンになってなぜか、城の方に引き返すことがよくある(特に曹魏軍)。
・ 守備側の君主が兵力をほとんど持たずに出陣し、マップの隅に逃れてぶるぶる震えていることがよくある。役に立つつもりがないなら出てくるな。こういうとき、攻撃側はそれでも城の占拠を目指す。
・ 自部隊の損害が大きすぎると、戦争全体の優劣や退避場所の有無に関わらず退却する。
・ とにかく攻撃側の行動が拙劣。戦争をOFFにしたときにやたらと攻撃側が負けるのが、とても納得のいく戦争内容だった。が、守備側が攻撃側以上に拙劣な行動を取ると負ける。はっきり言って、こんな戦争を見せられ続けるのは苦痛以外の何物でもない。
・ 「なら見るなよ」というツッコミにあらかじめ答えておくと、それでも戦争を見たからこそ、統一決着を多めに見ることができたのだと思う。
・ 守備側にも、兵糧庫となる城があって然るべきだと思った(どの城にするかは守備側が選択できる)。古来、米櫃を丸抱えで城に籠るのは奇道であり、どこか一箇所に集積しておくのが正道である。


▲新武将50人追加したらこうなった。お前らやりすぎ。ちなみに260年3月、曹宇が統一。



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